重い障がいをもちながら毎日頑張る息子と日々奮闘してる母が生活をつづっています
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桜の季節ですね。京都も桜が綺麗です。うちの近くはまだですが。そして、この時期はデパートでたくさん美味しそうなお花見弁当が売られてます。なかなか外食のできない私に母が美味しそうなお花見弁当を買ってきてくれました。桜を見ながら食べれたら最高ですが、昨日はそうたがミルクを戻さずイイ日だったので美味しくいただけました。


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soutashoumei4月から母子保育に通園するので写真を月曜日に撮ることにしました。なんと、普段笑顔もないのですが、旦那の声にいい笑顔をしてくれました。そうたの精一杯の笑顔です。笑ってますよねー!?この顔をしてくれると家族みんな「笑ってる!笑ってる!」って大騒ぎなんです。いっつも笑顔が出るといいんですが。今日は笑ってくれるかな~。
 昨日は定期的な小児神経の診察でした。発作は変わらずあるのですが、エクセグランはこれ以上増やせないとのことでしばらく様子をみることに。私も発作のことはこんなもんかなーって最近はあんまり気にしてません。吸引やゴロゴロの事がもっともっと気になるのでついつい先生に尋ねしてしまいます。カロリーもそうたの体重からいったら足りないんです。でも、少し増やすと消化しにくくなり、戻したりで。エンシュアを少し多めにするとゴロゴロが増えるような気がするんです。先生に言うとお母さんがそう思うならそうでしょうねーって。ま、そんなもんでしょうね。エンシュアも薄めて粉ミルクと混ぜたり色々試してますが、ギリギリのカロリーを考えるとこれ以上は薄められないし。エンシュアに変わるサラッとした高カロリーで完全食の液体ないかなー。今欲しい物はそれです。
 現在うちの旦那は無職なんです。資格取得の勉強中です。で、合格して晴れて先生と言われる職業に就いたら・・・
バリアフリーで日当たりのいい病院に近い家に住み、そうた専属のリハビリの先生に週2日は家に来てもらい、そして福祉カーにして親戚や友達を呼んで音楽療法として家で生演奏を聞かせたり、たまには私のために出張シェフを呼んでもらったり。考えるとアホみたいな夢ですが、家族で「頼むよー未来の先生!」って冗談で話してます。夢は大きくですしね。何よりそうたが暮らしやすい環境を作ってやりたいです。
10日程前に知り合いのとこにお孫さんが生まれました。
31週で900g弱。私とこの家族もすごく心配してました。
そのおばさんもそうたに何回も会ったりしてたので
うちの生活をみてて不安がられてたと思います。でも、
そのお子さんは産声を上げすごく小さいけど、挿管も
されず、酸素マスクもなしで元気そうです。写真を
見せてもらったのですが、そうたの時とは全然違って
顔色も良く痛々しさが全然無かったです。もうすでに
カンガルーケアもされたようで。めちゃめちゃ元気
やん!って私は言うてました。良かったです。
ま、この先色々あるかもしれないけど、今の段階では
そうたのような重度の障害をもつことはないんじゃ
ないかなー(って勝手に私は思ってます。)
 私はおばさんに「うちの孫はそうたみたいにならなくて
良かったって思うんじゃなく、そうたのような子も
いるって思ってて欲しい」って言いました。
 先日先輩ママさんとメールで”障がい児を育てるのは
大変な事が多いけど可哀相でも不幸でもない”って
内容でした。本当にそう思うんです。私にとったら
障がい児を育てるのが良かったかなーなんて最近思います。
健常児を育ててたら小さな幸せも逃して世間も知らず人の
気持ちも分からないまま人生を送ってたかもしれません。
そうたってすごい!こんな私にさせてくれました。
 おばさんにもし障がい児になったとしてもそんな悪い
人生じゃないよって本当は言いたかったのですが、
やっぱりそれはやめておきました。一日も早く退院
出来はりますように!
 昨日初めての場所に行って何人かの初めての方と会い刺激になったのか、夜に発作が連続してありました。ここ2、3日発作は落ち着いて1回ぐらいだったのでいい感じと思ってたのですが、やっぱり新しい刺激があると反応するようです。そうたの発作は今のとこ右腕がピクッと曲がるような感じで治まってます。お昼間になる時はその後も吸引でうまく上がってきたものをとってやることが出来ますが、寝入りばなは困ります。やっと最終のミルクが終わったと思ったら発作で起きて力が入り胃から上がってきます。鼻に吸い込んでしまいなかなか寝付けず。夜中にもズルズルなって起きてまた発作。ん~、夜中は辛いな~。親子共々寝れないのはお互い良くないですね。今日は発作が起きず寝れますように!!
今日少し昨日から痰がましになったのでボランティア
の方に前から誘われていたお家に行って来ました。
そこのお子さんも脳性まひでリハビリをされてます。
そうたはボイター法をしてます。そのお子さんも10年
ぐらいボイター法をされてたそうですが、状態が変わ
らないとのことで違うリハビリ法を始められたそうです。
(3歳で歩いてたそうですが。)今では一人で学校に行く
ぐらいになられてます。そのお母さんはとても熱心な方
で色々説明をして下さいました。
 インターネットで以前調べたことのあるリハビリ法
なのでちょっとは知っていたのですが、一日中リハビリを
されてるような感じです。アメリカに行って講習を受ける
とか、お金も安くはないとか。でも、効果はすごく
ありますよっておっしゃってました。
 私は今やってるボイター法に疑問を持ってるわけでも
ないんですが、嚥下が出来るリハビリなら併用してやって
みたいとも思いました。でも、全然やり方が違うらしい
ので併用は難しいと言われました。
 早ければ早いほど始めるのはいいとのことで、考えて
しまいます。もちろん最終的に歩けたら嬉しいのですが
今のとこ全然そこまでは思ってもないんです。吸引が取れて
口から食べれて笑えたらほんと、最高なんです。
 リハビリって難しいですね。そうたに合う、成長できる
リハビリ法がこれっていうのが分かっていたらいいのに。
そう簡単には行かないですね。親が考え探してやらないと
いけないんでしょうね。あ~悩むな~。
 そうたはお風呂が大好きです。普段なかなかいい顔もしないのにお風呂に入ると気持ちいいのか、お湯が体に流れると
「あ~」っと言ってくれます。すごくいい顔をしてくれるので、お風呂は好きな事で気持ちのいい事なんやなーって教えてくれます。少し前までお風呂でも何回か吸引しないといけなかったのが、最近はゴロゴロがあっても耐えれるようになりました。ゴロゴロがないともっとゆっくり入れてやれるのにな、と思います。

好きな事がもっと増えて笑顔が出るといいな。
 調子の悪い時のそうたは起きてる時は吸入→吸引→吸入→吸引の繰り返しで寝たなーって思ってもしばらくして反り繰り返るとまたまた吸引です。夜寝てる時でもちょっとの音で私はすぐに起きます。ここんとこ朝3時ぐらいから調子が悪いので、またまた緊張の日々です。
 ほっとできる時間はまだ先になるかな。でも、こうやって少しでもブログを書ける時間があるだけ今までの私に比べたら余裕が出来てきたかも。
 先週から風邪を引いてるそうたは更にゴロゴロが多く取っても取ってもすぐにゴロゴロ。どこから湧いてくるのか。溜まり過ぎると溺れそうになるので先に吸引をしたり。なかなかタイミングが難しい飲み込みが上手でないのにえずいて上がってきた物を飲もうとして空気をいっぱい飲んでお腹がボコンボコンいってます。どうする事でも出来なく私はただただひたすらに吸引をするだけです。どうにかこういう状態を無くしてやりたいです。胃ろうを作り噴門形成をしたらこの状態がましになるのかどうか。小児科の先生は勧めるがゴロゴロが絶対にましになるとは当たり前だけど言ってくれない。ちょっと試しにって簡単に出来るものでもないし。たくさんの方の意見を聞いたり先生と良く話して決めよう。とりあえずこの風邪が早く治りますように。
 先週リハビリに行った時のことです。娘さんが(私より年上だろうなー)お母さんに連れられて車椅子で来られてて訓練されてました。体も大きく大きい声を出されて訓練は辛いんやろうなーって思ってました。で、会計のとこでまた一緒になったんですが、娘さんが「あ~う~」って声を出されてました。お母さんは「あー、もう分かった。(怒)待って!もうっ、荷物も多いし疲れるわー!」って言われてて、すぐ側にいた私はたまーに吸引が頻繁で泣いて泣いてまた吸引になってる日にそうたに向かって言ってしまうことを思い出し、反省する気持ちとそのお母さんの気持ちが分かって複雑でした。その娘さんが生まれつき障がいがあったかどうかは分かりませんが、私もこれから先もこういう言葉が出てしまうのかなって思ってしまいました。子供には罪はないですもんね。こんな言葉出てたら駄目ですね。気をつけよう。
 おとついからそうたは何か唾液を喉に溜めて変な嫌な感じ~って思ってたらやっぱり風邪を引き熱を出しました。昨日病院で診てもらい特に肺炎にはなってなく、炎症反応も正常値範囲ということでした。ウィルス性の風邪でしょうっていっつも言われます。嚥下障害があるそうたは風邪を引くと更に吸引が増え、えずく事が多くなり看てても辛くなってきますが、私が何とかするしかないので、ただひたすら吸引してます。
 早く良くなりますように!
 私が通っていた小・中学校には知的障がいをもつ子達のクラスがあった。給食の時間は一緒に過ごしていた。当時の私はほんと、今から考えるとひどい子供だった。障がいを持ってる子達を何となく避けていたと思う。理解しようともせず。それから大きくなってからも街で障がい者を見ても可哀相やなーとか思っていた。親達も大変なんやろうなーとか。
 
 そうたが障がい児として生まれて最初は今までの私に対しての罰かと思ったりもした。でも、決して罰ではない。そうたの存在は悪いことではないので。そうたは私に教えてくれたんだと思う。お母さん、世の中には色んな人がいるんやでって。障がいを持ちながらも一生懸命頑張って生きようとしてるんやで、可哀相では決してないよって。
 
 お友達のブログでもあったように居住地校交流ってすごい素敵やなーって思います。私のようなひどい子はいないかもしれないが、子供の頃から知ってると偏見もなくなるんじゃないかなー。
 
 世の中には色んな人がいるから私達親子を見ても「うちの子は健常児で良かったー」って思う人も多いと思います。そういう冷たい風が吹いても堂々とみんなの前を通ってうちは充分幸せですよって言える親子になろうと思います。
 やりたい事はたくさん有ります。趣味もそうだけど、他に色々あります。その一つに不妊治療に関しての事です。私も長く通院したわけではないですが、治療してました。その頃もかなり鬱みたいな状態にもなってたぐらい悩んでました。結婚して当たり前のように子供を産んでる人達をみるのは辛かった。
 なかなか理解もしてもらえないし、先生もはっきりとした原因が分からないんじゃないかなー?体はいっつも同じ状態ではないし、難しいもんだと思った。 
 私は幸い子供が授かりました。そうたが重度障がい児になった原因は治療してできた子だからとは関係ないようです。
 治療は時間もお金も懸かります。体外受精や顕微受精は保険が利かないのでそんな簡単に試すことも出来ないと思います。もちろんお金だけじゃなく、体も休めたりいい状態にもっていったりで、かなり負担になります。少しづつ治療がやり易い状態になったらいいなーと思ってます。私に何が出来るかまだ分かりませんが、余裕が出来てきたら調べて何かいい方向にいくように協力したいです。
 先日知り合いの方のお嫁さんが妊娠中毒症で緊急入院されたと聞いて母と私が緊急入院した頃の話になった。毎日状態が良くならずで段々私も精神的にしんどくなってきたのをずっと見てたのでお腹の子供より私の体の事の方を心配してたらしい。早く子供を出して楽にさせてやりたいって思ってたようで。私は私で元気なうちに出してやりたいって子供の事を思っていた。
 今もそうたを私が一生懸命に育ててるのを見てるから私のために手伝ってくれてるらしい。もちろん孫だから可愛いとは思ってるが、子供が頑張ってるから手伝ってやろうって感じ。「親」とはこういうもんなんでしょうね。有難いです。私もそうたの為なら色んな事できると思う。移植とかでなんとか出来るものならするんですが。
 でもいつまでも親がついてるわけではないので私達親子も自立しなければ。
 私の悩みと言えばやっぱり吸引とミルクを戻すことですが、それはさておき、人それぞれ悩みが違って、まだ私の精神的な成長はこれからで、周りの障がい児でも首が据わりつかみ立ちしてる子が多くて羨ましい限りです。その子達の親にしたらそれでも発達が遅れてるとか歩き方がちょっと違うってなるとこんなんじゃあかんわーってなってます。吸引もなく笑ってるしすごいやん!って思うのは私だけで、なかなか同じ気持ちにはなってあげれてません。ましてや健常児の悩みなんてまだまだ聞いてあげることさえ出来ないと思います。
 インターネットでやっと同じ悩みを持ってる方と出会えてほんと、救われて今の私があります。同じ悩みを抱えてるって分かっただけで心が救われるんですね。
 で、これからそうたと共に私も成長して健常児の子育ての悩みまで聞いてアドバイス出来たらすごいなー。いつかそうなろう!
 うちではミルク注入に必要なスタンドは
カメラの三脚を使ってます。
皆さんはどうしてされてるでしょう?
なかなか三脚は便利です。milk2

そうたは色んな体位をしてみましたが今はmilk

こんな感じで横向きに寝かせ三角マットを
ひいてます。おもちゃを置いて気を紛らわせ
てます。まだまだこれから色んな工夫をして
いかなあかんなーと思ってます。いいアイデア
が浮かぶと嬉しいです。それなりに毎日を
楽しめてきてるかな?
そうた退院後

 1月
 夜中に起きる。NICUのリズムがまだとれない。
NICUに居た時はほとんど寝てるような感じだった
ので吸引もミルク前ぐらいだけで良かったが
家に帰ってからもう少し頻繁に。

 2月14日(月)
 初めてリハビリの病院で診察を受ける。上半身の
筋肉が弱いと言われる。
 
 この頃から夕方から泣きっぱなし。抱っこしても
何しても泣いて3時間ぐらい泣く。母と交代して
抱っこする。
 昼間も抱っこしないと寝ないのでずっと抱っこ。
お昼寝は抱っこだと30分ぐらいする。

 便秘なのでミルクにマルツエキスを入れお尻を
刺激して何とか。

 2月20日(日)
 ミルクの量をトータル550ccにする。口からも
少しづつ練習させるが、なかなか。

3月、4月
 家でリハビリをしたりミルクの練習をしたり。
ボランティアの方に来てもらい少し遊んでもらう。
夕方からは相変わらず泣いてばっかり。

 4月25日(月)
 リハビリの病院で母子入園することに。
 最初の診察でそうたが脳性まひで一生寝たきりだと
言われた。これまでそこまで言われたことが無かった
のでかなりショックを受けた。寝たきりでもそれなりの
豊かな生活が出来ますと。そんな言葉はいらなかった。

 母子入園は6週間で毎日リハビリの先生が診て
くれたのは良かった。そうたは風邪を引いて
夜は寝ず吸引ばっかりだった。STの先生から
誤嚥の危険性が高いので口から飲むのは止めましょうと
言われた。口腔ネラトンを試したがゴロゴロが多いのと
色んな事を一気にやるのは負担になるからとのことで
結局鼻チューブのままになった。母子入園してから
発作がきつくなり薬を始めた。

 6月9日(木)
 母子入園を終えて1週間後てんかんの薬調整のため
入院。脳波はかなり悪く点頭てんかんと言われた。
またまた怖いことばっかり言われ不安だらけ。

 6月13日(月)
 薬が効いてきたのか生まれて初めて笑った。
一瞬の笑いだったがすごく嬉かった!

 6月16日(木)
 痰が多くしんどそう。ミルクを戻しぐずる。
夜に吸引のことで看護師さんとトラブル。この時から
人に吸引はさせるまいと思った。そうたにしんどい
思いをさせかなり反省。

 6月23日(木)
 脳波結果は前よりは良くなってるとのことで
退院できる。

 7月
 退院後2日だけ調子よく、その後ミルクを戻す日々が
続く。ミルクを半分の量にして様子をみる。病院
ばっかりで週に3日ぐらいは行ってたが、炎症反応も
そんなに悪くないとのこと。戻す原因はっきりせず。

 8月
 ビタミン剤をやめ他の薬に変えると戻すのも
ましになった。

 9月、10月、11月
 調子がいい日は良くて2週間ぐらい。ミルクを戻し
注入中は反りまくる。発作も出たりなかったり。

 12月
 発作がきつくなってきた。痰が多くミルクも戻す。
訪問看護に来てもらえるようになり少し気持ちが
楽になる。表情は強張ってばっかり。

 2006年1月
 まだまだ発作も多く、夜も何回も起きる。
脳波はそんなに悪くなってないとのこと。薬の
量が増える。吸引は頻繁。

 2月
 ずっと逆流のことは言われて様子をみていたが
注入するとゴロゴロひどいのでガスターを試す
ことになり、それが効いてか注入中反るのが
ましになった。ゴロゴロは相変わらず多く。
発作は少しましになり夜も寝るようになった。

色々ありました。去年の夏からミルクが上手く
行かず、吸引が5分~10分間隔でその二つが
問題です。胃ろうの話も出て、ゴロゴロが少なく
なるならしてやりたいですが、やってみないと
分からないと言われ。どうにかゴロゴロを減らして
やりたいです。先生にも聞いてますが、なかなか
解決策はでなく。これも成長を見て様子を見るしか
ないのか。

これも長くなりましたが、読んでいただき
有難うございました。
聡太誕生まで


2004年8月28日(土)夜 26週
 
 恐れていたことが起こった。出血。すぐに病院に電話を
するが、様子を見るように言われベッドに入る。暫くして
出血がひどくなり病院へ。診察をしてもらって少し破水し
てるとのこと。絶対安静で管をされ点滴。赤ちゃんは元気
とのことでほっと安心する。
 
 9月5日(日)
 入院して1週間が経ったが出血は相変わらず。
テレビを見たり本を読んだり気を紛らわして過ごす。
京都では珍しい大きい地震があった。

 9月6日(月)
 出血が全然止まらなく気分はブルー。個人病院ではもし
産まれたら対応できないとのことで転院の手配を急ぐこと
になった。

 9月7日(火)
 大学病院へ転院。初めて救急車に乗る。けっこう狭くて
すごく揺れた。まだ自分の状態がそんな悪いものだとは
まだ予想もしてなかった。転院先でも検査で2時間くらい
かかった。血流はいいとのこと。破水はしてるが羊水が
十分にあるからこのままとりあえず絶対安静に。

9月8日(水)
 出血も全然治まらなく精神的にイライラする。
同室の人たちは管理入院で歩くこともでき私からしたら
元気そうだったので余計に辛くなってきた。でも今は
じっとじっと我慢と自分に言い聞かせる。

 9月9日(木)
 状態変わらず。夕方に先生から「ちょっと赤ちゃん
しんどくなってきてるかなー。もってくれるといいけど。」
私はショックで何も詳しく聞けず精神的にかなり参ってた
ので涙が止まらなかった。その夜は遅くまで旦那も居て
くれた。お腹が痛くなって看護師さんに言うがしばらく
して治まったのでそのまま寝ることにした。

 9月10日(金)
 朝から胎動をあんまり感じなく機械をつけて心拍を
計る。看護師さんがデータを持って行って先生が駆けつける。
「心拍落ちてきてるなー。分(娩)行くか。」私は「えっ?」って
感じだった。バタバタ他の先生も来て赤ちゃんがしんどく
なってきてるから出してあげましょかーと。
診察をして帝王切開するとの説明。手術台に乗って周りが
バタバタ準備をしてるのがよく分かった。緊張して咳が
止まらなくなり不安になってきた。でも、手術はすぐに
終わるから赤ちゃん頑張って!との思いばかりだった。
下半身麻酔はそんな痛くなかったが、切られてる感覚は何となく
分かった。先生の荒い息使いが「そんなに大変なん?」って
思ってました。酸素マスクが苦しくて息が出来ない感じで
何回も息苦しいですと訴えたが赤ちゃんの為に頑張ってと
言われ自分に言い聞かせた。赤ちゃんを取り出されてから
全身麻酔がかかり寝てしまった。呼ばれてぼっーっと目が
覚め、手術が終わってた。先生に「元気な女の子ですよ」って。
男の子と言われてたので何でやったんかなー?ま、元気
やったらいいわって安心していた。家族と対面して
「よう頑張った」と言われホッとする。先生が来て
男の子でした、すいませんと言いに来られた。
その日は痛みで寝られなかったが精神的に少し落ち着いた。

午後1時31分 996g  聡太誕生


NICUに入ってから  


 9月11日(土)
 私は痛みで殆ど寝られずだったが、管もはずしてもらって
ちょっとスッキリ。お昼に初めて我が子と対面できた。
(まだ私はこの時もそうたが仮死状態で生まれたことも
危険な状態で昨日の山を乗り越えた事も聞いてなかった。)
対面前に看護師さんが小さくて色々管とかもしてるから
びっくりするかもしれないけど、、、って言ってた。
我が子がいる保育器の前に連れて行ってもらい少し立って
見てみた。感動!涙が出てきた。当たり前だけど小さくても
ちゃんと人間の形してた。指もできてた。いっぱいいっぱいの
点滴やら人工呼吸器やらで痛々しかったが感動感動でした。

 元の大部屋に戻って他の人たちは「おめでとう。いいなー。
あ、でもまだあかんあかん、まだ出てきたらあかんでー」って
お腹さすって言ってた。何がええねん!この人たちとは
もう会ったりしないからほっとこうと思った。辛かったなー。

 この夜は久々に寝ることができた。

 9月13日(月)
 朝からお乳搾りが始まった。痛かったなー。痛みは割りと
我慢できる方だったが、これは痛かった。でも、子供のため
頑張った。眠い体を起こして静かーにこそこそと。

 9月14日(火)
 私の体調は良くなってきた。個室が空いたので早速移動。
やっと一人になれてあの方たちから離れられてスッキリ。

 9月15日(水)
 小児科の先生はすごく感じのいい先生。
 この頃旦那にそうたが生まれた時脳内出血して腫れていた
ことを聞いた。でも、それが将来どうなんかはまだ私達も
分かってなかった。小児科の先生は早産になった原因は
分からないと言われた。

 9月16日(木)
 先生よりそうたの脳ほうのひきが悪いと聞かされる。
将来障害が出るかもしれないと言われた。今は経過を
見るしかないとのこと。

 9月18日(土)
 私の子宮は何かに感染していたようだが目ぼしい
ウィルスには反応してなかったとのこと。原因分からず。

 9月22日(水)
 私は退院できた。そうたは酸素マスクをはずしてたが
しんどそうでキンコンキンコンよく音を鳴らしてた。

 9月24日(金)
 呼吸がやっぱりしんどそうで鼻にマスクをしていた。
時々呼吸をしなくなるので保育器をゆらしたりお尻を
トントンと叩いて呼吸させる。

 9月26日(日)
 初めて泣き声を聞いた。フェ~フェ~と泣いてた。

 10月2日(土)
 前の日夢でそうたを抱っこしていた。そしたら
初めて保育器の中で両手でそうたを抱っこさせて
もらった!思ったより重くて(でも930g)あったかかった。

 10月4日(月)
 鼻のマスクをしてるとまだ呼吸が楽そう。ないと
しんどうそう。ずっとこういう状態が続いている。

 10月7日(木)
 初めて眼科検査。ストレスを感じるらしいので
鼻マスクをしてゆっくり休ませる。

 10月10日(日)
 胃までのチューブではミルクが戻ってきたりしんど
そうなので十二指腸までに変える。

 10月11日(月)
 ずっとそうだったが、唾をごっくんできないので
溜まってくると苦しそう。バタバタ動いて訴えてる感じ。

 10月21日(木)
 鼻マスクをはずして頑張れてる。

 10月22日(金)
 眼科の先生より未熟児網膜症なので治療を
して行きましょうと言われた。怖いことを一杯言われ
泣いてしまった。早速レーザー治療することになった。

 10月27日(水)
 今日はMRIの検査。保育器から移動の保育器に
移されるのはほんと、慎重にしてもらってた。

 10月28日(木)
 検査結果でやはり血のかたまりがいくつかあり
将来障がいが出るかもしれないと言われた。

 まだまだこの時はそんな重い障がいになるなんて
思いもしなかった。先生も分からなかったのかどうか?

 11月9日 (火)
 初めて保育器の外で抱っこさせてもらった。
感激で涙が止まらなかった。そうた有難う!私への
最高の誕生日プレゼントだった。

 11月10日(水)
 昨日に続き今日は初めてのカンガルーケアを
させてもらった。あったかかったなー。そうたの
呼吸も落ち着いてたから良かった。

 11月12日(金)
 沐浴できたらしい。酸素は横に置いての状態だが
外に連れても少しくらいなら平気そう。
このころから少しづつストレッチを始める。

11月18日(木)
 保育器の酸素カットできるようになる。けいれんの
薬が増える。ぴくっぴくっとなることが生まれて
しばらくしてからあった。

 11月21日(日)
 やっと保育器から出られた。

 11月25日(木)
 少し前から口から飲むことを練習。3cc飲めた。

 12月1日(水)
 先日先生から2300g台ぐらいを目標に退院考え
ましょうかと。この感じだと吸引機を購入して
もらわなねーと。私すごいびっくりして言葉が出なかった。
ここまでそうたを見て来てたが、飲み込めないのはまだ力が
ないだけだと勘違いしてた。全然状況を把握してなかった。
あほな私で先生の言葉にショック。
 搾乳頑張っても飲んでもらえへんねんなーと悲しく
なって授乳室で泣いていた。そうたの側に戻っても
涙が出て出て。また授乳室に。同じ部屋では赤ちゃんに
オッパイを飲ませてるお母さんが居て、更に辛くなる。

 12月2日(木)
 私達の両親達も交えて先生から説明を受ける。
脳室周囲白室軟化症(PVL)だと。将来足に障がいが
出るかも。飲み込みは出来るようになるかはまだ
分からないと。先のことははっきり言って分からないと。
親達は戸惑っていた。私はここんとこ先生に言われ
だいぶ落ち着いてきたので断乳することにした。
現実を受け止めて前を向いていかなと思い決心した。
今まで頑張って絞ってきたのでストックもあり
看護師さんもいいですよって言って下さった。そして
よく頑張ったねって。

 それからの私はチューブの入れ替えや吸引を教えて
もらったり退院の準備を始めていった。気持ちもだいぶ
すっきりした感じだった。

 12月9日(木)
 引越し先を探しに行った。体重は2094gに。
 12月中はなかなか体重が増えず先生も何でかなー?って
ばっかりだった。

 1月に入ってから
 何故か体重が順調に増え先生もびっくり。

 1月21日(金)
 そうた退院。2952g。先生やたくさんの看護師さんの
お陰で退院できる日を迎えられました。


長々となりました。読んで下さり有難うございます。
ほんと、インターネットでたくさんの方と
知り合いになれて私は色んな情報を得ました。
その中でもいい情報があります。

そうたは鼻チューブで吸引が必要です。で、
毎回の注入で必要な注入器ですが、今まで
すぐにゴムのところが堅くなって捨ててました。
そして購入。うちはJMSのを使ってるのでまた
少し高いんです。それが先輩ママにオリーブ油
などを塗ったらいいって事を教えてもらい
何度も使えるようになり感激でした!
更に病院から物品支給があることを知り、私も
早速看護師さんに尋ねました。これは病院や
その子の状態にもよるのかもしれませんが
うちは支給してもらえるようになりました。
↑これはほんと、先生や看護師さんのちょっと
した配慮や知識で何とかなるもんだと思うんです。
診療報酬を見てみるとややこしいですが、例外とかも
あるので患者さんの身にもなって病院も考えて
欲しいです。

今まで自費で購入してた私ですが、まだまだ
知らない方もいらっしゃるんじゃないでしょうか?
これからブログを通して私は色んな情報を提供
して行きたいと思ってます。

私に良きアドバイスを下さった先輩ママさんに
ほんと、感謝です。有難うございます。
今日はお雛さんということで
やっぱり私はお花見団子を食べます。

   hanamidango

結婚して東京に住んだ時にこの
お花見団子が売ってなくってショック
でした。たまたまかもしれませんが。

関西と関東では色んな違いがありました。
なかなか慣れなくて結局馴染めなくて
京都に帰ってきた感じですが。

でも、お友達になったりするのは
土地とか関係なくできて。今は
そうたのおかげで関東の方とたくさん
知り合えてなんか京都に帰ってきたのが
惜しいなーなんて思ったりします。
いつかそうたを連れて関東へ行きたいです!
昨日知り合いからメールが来てその子の
子供さんも最近リハビリに通い出したのですが
よく病院仲間とランチしたりして外出
してるようなんです。その仲間に鼻チューブを
してるお子さんがいるようで座敷がいいって
言われたそうです。そのお母さんが人目を
気にしてるのかどうか分からないのですが
友達は私に「人の視線気になるもんなー」って
打ってきました。

私はどんどんそうたを外に出してやりたいし
色んな刺激を与えてやりたいって思ってます。
でも、そうたは吸引がかなり頻繁で抱っこでは
取りきれない痰があると横にしてやらないと
苦しがる。病院ではベッドや長いすがあるから
まだましではあるけど、ベビーカーにも
筋緊張でほとんど乗ってられないので外出は
なかなか難しい。座敷があれば横にも出来るし
吸引機を置けるからいいと思う。人目を気にして
座敷とは全然思わない。もっともっとそうたの
ような子を知って欲しいので外に出してやりたい!
そうたの存在が恥ずかしいとはまさか思わないし
こういう子が頑張って生きてるって事を知って
欲しい。受け入れたくないって人も多いかも
しれないが、命の大切さとか今まで悩んでた
しょーもないことも何やったんやーって思うと
思うんです。オーバーかなー??
そうたが生まれてから色々思う事は増え
一つに”人のつながり”があります。

今はまだ私は実家に住まわせてもらって
親子共々世話になってます。母には特に
病院について来てもらったりそうたの
吸引をしてもらったり。

叔母達も今まではそんなに会う事がなかったが
そうたに会いに頻繁に来てくれるようになり
孫のように可愛がってくれてます。兄夫婦も
よく来てくれるようになり、母が仕事で居ない時
はボランティアのオバサン達や看護師さんが来て
くれて相手になってくれます。家にはたくさんの
人が出入りするようになった。

リハビリの病院でもたくさんの友達が出来て
遊びにも来てくれる。

そしてインターネットでたくさんの方と知り合えた。
私の心の支えとなってます。

全てそうたのお陰だと思ってます。たくさんの人に
支えられて生きてるそうたですが、みんなに
元気と勇気を与えてると思います。

知り合った人からまた違う人と知り合って
ここ1年でたくさんの方と出会えた。ほんと
素晴らしい出会いでした。色んな方と繋がってると
そうたも私もより頑張れます。頼りすぎかも
しれませんが、今はまだたくさんの方の助けが
必要です。(これから先もそうかもしれませんが)
私もいつか誰かの手助けを出来るようになりたいです。
こう思えるのもそうたのお陰です。感謝感謝。
たくさんの方に感謝で一杯です。
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