重い障がいをもちながら毎日頑張る息子と日々奮闘してる母が生活をつづっています
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そうた退院後

 1月
 夜中に起きる。NICUのリズムがまだとれない。
NICUに居た時はほとんど寝てるような感じだった
ので吸引もミルク前ぐらいだけで良かったが
家に帰ってからもう少し頻繁に。

 2月14日(月)
 初めてリハビリの病院で診察を受ける。上半身の
筋肉が弱いと言われる。
 
 この頃から夕方から泣きっぱなし。抱っこしても
何しても泣いて3時間ぐらい泣く。母と交代して
抱っこする。
 昼間も抱っこしないと寝ないのでずっと抱っこ。
お昼寝は抱っこだと30分ぐらいする。

 便秘なのでミルクにマルツエキスを入れお尻を
刺激して何とか。

 2月20日(日)
 ミルクの量をトータル550ccにする。口からも
少しづつ練習させるが、なかなか。

3月、4月
 家でリハビリをしたりミルクの練習をしたり。
ボランティアの方に来てもらい少し遊んでもらう。
夕方からは相変わらず泣いてばっかり。

 4月25日(月)
 リハビリの病院で母子入園することに。
 最初の診察でそうたが脳性まひで一生寝たきりだと
言われた。これまでそこまで言われたことが無かった
のでかなりショックを受けた。寝たきりでもそれなりの
豊かな生活が出来ますと。そんな言葉はいらなかった。

 母子入園は6週間で毎日リハビリの先生が診て
くれたのは良かった。そうたは風邪を引いて
夜は寝ず吸引ばっかりだった。STの先生から
誤嚥の危険性が高いので口から飲むのは止めましょうと
言われた。口腔ネラトンを試したがゴロゴロが多いのと
色んな事を一気にやるのは負担になるからとのことで
結局鼻チューブのままになった。母子入園してから
発作がきつくなり薬を始めた。

 6月9日(木)
 母子入園を終えて1週間後てんかんの薬調整のため
入院。脳波はかなり悪く点頭てんかんと言われた。
またまた怖いことばっかり言われ不安だらけ。

 6月13日(月)
 薬が効いてきたのか生まれて初めて笑った。
一瞬の笑いだったがすごく嬉かった!

 6月16日(木)
 痰が多くしんどそう。ミルクを戻しぐずる。
夜に吸引のことで看護師さんとトラブル。この時から
人に吸引はさせるまいと思った。そうたにしんどい
思いをさせかなり反省。

 6月23日(木)
 脳波結果は前よりは良くなってるとのことで
退院できる。

 7月
 退院後2日だけ調子よく、その後ミルクを戻す日々が
続く。ミルクを半分の量にして様子をみる。病院
ばっかりで週に3日ぐらいは行ってたが、炎症反応も
そんなに悪くないとのこと。戻す原因はっきりせず。

 8月
 ビタミン剤をやめ他の薬に変えると戻すのも
ましになった。

 9月、10月、11月
 調子がいい日は良くて2週間ぐらい。ミルクを戻し
注入中は反りまくる。発作も出たりなかったり。

 12月
 発作がきつくなってきた。痰が多くミルクも戻す。
訪問看護に来てもらえるようになり少し気持ちが
楽になる。表情は強張ってばっかり。

 2006年1月
 まだまだ発作も多く、夜も何回も起きる。
脳波はそんなに悪くなってないとのこと。薬の
量が増える。吸引は頻繁。

 2月
 ずっと逆流のことは言われて様子をみていたが
注入するとゴロゴロひどいのでガスターを試す
ことになり、それが効いてか注入中反るのが
ましになった。ゴロゴロは相変わらず多く。
発作は少しましになり夜も寝るようになった。

色々ありました。去年の夏からミルクが上手く
行かず、吸引が5分~10分間隔でその二つが
問題です。胃ろうの話も出て、ゴロゴロが少なく
なるならしてやりたいですが、やってみないと
分からないと言われ。どうにかゴロゴロを減らして
やりたいです。先生にも聞いてますが、なかなか
解決策はでなく。これも成長を見て様子を見るしか
ないのか。

これも長くなりましたが、読んでいただき
有難うございました。
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聡太誕生まで


2004年8月28日(土)夜 26週
 
 恐れていたことが起こった。出血。すぐに病院に電話を
するが、様子を見るように言われベッドに入る。暫くして
出血がひどくなり病院へ。診察をしてもらって少し破水し
てるとのこと。絶対安静で管をされ点滴。赤ちゃんは元気
とのことでほっと安心する。
 
 9月5日(日)
 入院して1週間が経ったが出血は相変わらず。
テレビを見たり本を読んだり気を紛らわして過ごす。
京都では珍しい大きい地震があった。

 9月6日(月)
 出血が全然止まらなく気分はブルー。個人病院ではもし
産まれたら対応できないとのことで転院の手配を急ぐこと
になった。

 9月7日(火)
 大学病院へ転院。初めて救急車に乗る。けっこう狭くて
すごく揺れた。まだ自分の状態がそんな悪いものだとは
まだ予想もしてなかった。転院先でも検査で2時間くらい
かかった。血流はいいとのこと。破水はしてるが羊水が
十分にあるからこのままとりあえず絶対安静に。

9月8日(水)
 出血も全然治まらなく精神的にイライラする。
同室の人たちは管理入院で歩くこともでき私からしたら
元気そうだったので余計に辛くなってきた。でも今は
じっとじっと我慢と自分に言い聞かせる。

 9月9日(木)
 状態変わらず。夕方に先生から「ちょっと赤ちゃん
しんどくなってきてるかなー。もってくれるといいけど。」
私はショックで何も詳しく聞けず精神的にかなり参ってた
ので涙が止まらなかった。その夜は遅くまで旦那も居て
くれた。お腹が痛くなって看護師さんに言うがしばらく
して治まったのでそのまま寝ることにした。

 9月10日(金)
 朝から胎動をあんまり感じなく機械をつけて心拍を
計る。看護師さんがデータを持って行って先生が駆けつける。
「心拍落ちてきてるなー。分(娩)行くか。」私は「えっ?」って
感じだった。バタバタ他の先生も来て赤ちゃんがしんどく
なってきてるから出してあげましょかーと。
診察をして帝王切開するとの説明。手術台に乗って周りが
バタバタ準備をしてるのがよく分かった。緊張して咳が
止まらなくなり不安になってきた。でも、手術はすぐに
終わるから赤ちゃん頑張って!との思いばかりだった。
下半身麻酔はそんな痛くなかったが、切られてる感覚は何となく
分かった。先生の荒い息使いが「そんなに大変なん?」って
思ってました。酸素マスクが苦しくて息が出来ない感じで
何回も息苦しいですと訴えたが赤ちゃんの為に頑張ってと
言われ自分に言い聞かせた。赤ちゃんを取り出されてから
全身麻酔がかかり寝てしまった。呼ばれてぼっーっと目が
覚め、手術が終わってた。先生に「元気な女の子ですよ」って。
男の子と言われてたので何でやったんかなー?ま、元気
やったらいいわって安心していた。家族と対面して
「よう頑張った」と言われホッとする。先生が来て
男の子でした、すいませんと言いに来られた。
その日は痛みで寝られなかったが精神的に少し落ち着いた。

午後1時31分 996g  聡太誕生


NICUに入ってから  


 9月11日(土)
 私は痛みで殆ど寝られずだったが、管もはずしてもらって
ちょっとスッキリ。お昼に初めて我が子と対面できた。
(まだ私はこの時もそうたが仮死状態で生まれたことも
危険な状態で昨日の山を乗り越えた事も聞いてなかった。)
対面前に看護師さんが小さくて色々管とかもしてるから
びっくりするかもしれないけど、、、って言ってた。
我が子がいる保育器の前に連れて行ってもらい少し立って
見てみた。感動!涙が出てきた。当たり前だけど小さくても
ちゃんと人間の形してた。指もできてた。いっぱいいっぱいの
点滴やら人工呼吸器やらで痛々しかったが感動感動でした。

 元の大部屋に戻って他の人たちは「おめでとう。いいなー。
あ、でもまだあかんあかん、まだ出てきたらあかんでー」って
お腹さすって言ってた。何がええねん!この人たちとは
もう会ったりしないからほっとこうと思った。辛かったなー。

 この夜は久々に寝ることができた。

 9月13日(月)
 朝からお乳搾りが始まった。痛かったなー。痛みは割りと
我慢できる方だったが、これは痛かった。でも、子供のため
頑張った。眠い体を起こして静かーにこそこそと。

 9月14日(火)
 私の体調は良くなってきた。個室が空いたので早速移動。
やっと一人になれてあの方たちから離れられてスッキリ。

 9月15日(水)
 小児科の先生はすごく感じのいい先生。
 この頃旦那にそうたが生まれた時脳内出血して腫れていた
ことを聞いた。でも、それが将来どうなんかはまだ私達も
分かってなかった。小児科の先生は早産になった原因は
分からないと言われた。

 9月16日(木)
 先生よりそうたの脳ほうのひきが悪いと聞かされる。
将来障害が出るかもしれないと言われた。今は経過を
見るしかないとのこと。

 9月18日(土)
 私の子宮は何かに感染していたようだが目ぼしい
ウィルスには反応してなかったとのこと。原因分からず。

 9月22日(水)
 私は退院できた。そうたは酸素マスクをはずしてたが
しんどそうでキンコンキンコンよく音を鳴らしてた。

 9月24日(金)
 呼吸がやっぱりしんどそうで鼻にマスクをしていた。
時々呼吸をしなくなるので保育器をゆらしたりお尻を
トントンと叩いて呼吸させる。

 9月26日(日)
 初めて泣き声を聞いた。フェ~フェ~と泣いてた。

 10月2日(土)
 前の日夢でそうたを抱っこしていた。そしたら
初めて保育器の中で両手でそうたを抱っこさせて
もらった!思ったより重くて(でも930g)あったかかった。

 10月4日(月)
 鼻のマスクをしてるとまだ呼吸が楽そう。ないと
しんどうそう。ずっとこういう状態が続いている。

 10月7日(木)
 初めて眼科検査。ストレスを感じるらしいので
鼻マスクをしてゆっくり休ませる。

 10月10日(日)
 胃までのチューブではミルクが戻ってきたりしんど
そうなので十二指腸までに変える。

 10月11日(月)
 ずっとそうだったが、唾をごっくんできないので
溜まってくると苦しそう。バタバタ動いて訴えてる感じ。

 10月21日(木)
 鼻マスクをはずして頑張れてる。

 10月22日(金)
 眼科の先生より未熟児網膜症なので治療を
して行きましょうと言われた。怖いことを一杯言われ
泣いてしまった。早速レーザー治療することになった。

 10月27日(水)
 今日はMRIの検査。保育器から移動の保育器に
移されるのはほんと、慎重にしてもらってた。

 10月28日(木)
 検査結果でやはり血のかたまりがいくつかあり
将来障がいが出るかもしれないと言われた。

 まだまだこの時はそんな重い障がいになるなんて
思いもしなかった。先生も分からなかったのかどうか?

 11月9日 (火)
 初めて保育器の外で抱っこさせてもらった。
感激で涙が止まらなかった。そうた有難う!私への
最高の誕生日プレゼントだった。

 11月10日(水)
 昨日に続き今日は初めてのカンガルーケアを
させてもらった。あったかかったなー。そうたの
呼吸も落ち着いてたから良かった。

 11月12日(金)
 沐浴できたらしい。酸素は横に置いての状態だが
外に連れても少しくらいなら平気そう。
このころから少しづつストレッチを始める。

11月18日(木)
 保育器の酸素カットできるようになる。けいれんの
薬が増える。ぴくっぴくっとなることが生まれて
しばらくしてからあった。

 11月21日(日)
 やっと保育器から出られた。

 11月25日(木)
 少し前から口から飲むことを練習。3cc飲めた。

 12月1日(水)
 先日先生から2300g台ぐらいを目標に退院考え
ましょうかと。この感じだと吸引機を購入して
もらわなねーと。私すごいびっくりして言葉が出なかった。
ここまでそうたを見て来てたが、飲み込めないのはまだ力が
ないだけだと勘違いしてた。全然状況を把握してなかった。
あほな私で先生の言葉にショック。
 搾乳頑張っても飲んでもらえへんねんなーと悲しく
なって授乳室で泣いていた。そうたの側に戻っても
涙が出て出て。また授乳室に。同じ部屋では赤ちゃんに
オッパイを飲ませてるお母さんが居て、更に辛くなる。

 12月2日(木)
 私達の両親達も交えて先生から説明を受ける。
脳室周囲白室軟化症(PVL)だと。将来足に障がいが
出るかも。飲み込みは出来るようになるかはまだ
分からないと。先のことははっきり言って分からないと。
親達は戸惑っていた。私はここんとこ先生に言われ
だいぶ落ち着いてきたので断乳することにした。
現実を受け止めて前を向いていかなと思い決心した。
今まで頑張って絞ってきたのでストックもあり
看護師さんもいいですよって言って下さった。そして
よく頑張ったねって。

 それからの私はチューブの入れ替えや吸引を教えて
もらったり退院の準備を始めていった。気持ちもだいぶ
すっきりした感じだった。

 12月9日(木)
 引越し先を探しに行った。体重は2094gに。
 12月中はなかなか体重が増えず先生も何でかなー?って
ばっかりだった。

 1月に入ってから
 何故か体重が順調に増え先生もびっくり。

 1月21日(金)
 そうた退院。2952g。先生やたくさんの看護師さんの
お陰で退院できる日を迎えられました。


長々となりました。読んで下さり有難うございます。
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